2005年05月02日

川の手荒川まつり

第19回「川の手荒川まつり」と第26回「商業祭」は4月29日(祝)の午前10時から午後4時まで第1会場の南千住野球場・荒川総合スポーツセンターと第2会場の瑞光小学校校庭で同時に開催された。第1会場では姉妹・友好都市特産品コーナー、商業祭バザール、福祉チャリティバザール、国際交流コーナー、ヘブンアーティスト、マジレンジャーショウ、ミニコンサートなどが行なわれ、家族連れや若いカップルで大賑わいであった。第2会場ではミニSL・ミニ都電、つくってあそぼう、丸太切り、リサイクル図書コーナーがあり、特に校庭に敷かれた軌道を走るミニSLとミニ都電の乗車は訪れた子供達に大人気であった。また、第3会場では俳句・スタンプラリーが行なわれた。オープニングの前に区内の各種団体は三ノ輪銀座商店街から会場まで華やかなパフォーマンスでパレードを行なった。







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投稿者 arakawanet : 11:02

2004年09月22日

藤沢荒川区長の逮捕

警視庁捜査2課は18日に区役所の清掃業務の発注に絡み藤沢志光区長とビルメンテナンス会社「新光ビルシステム」社長の石崎克博を収賄容疑の疑いで逮捕した。藤沢区長は01年10月、荒川区役所本庁舎の管理業務を継続して受注できるよう便宜を図った謝礼として、石崎社長から都内で数十万円のわいろを直接受け取った疑い。藤沢区長は収賄容疑を否定しているが石崎克博社長は収賄容疑を認めている。23区の区長が収賄容疑で逮捕されたのは1955年の品川区長以来とか。

藤沢区長は8月のアテネ五輪で荒川区出身で平泳ぎ競泳金メダリストの北島康介選手の「あらかわ区民応援団」の名誉団長として現地て声援を送っていた。北島選手が区役所で凱旋報告したときの藤沢区長のパフォーマンスはマスメデアで広く報道された。また、荒川総合スポーツセンター内のプールを「北島康介選手記念プール」と命名しようとして話題になった。今回の逮捕で輝く荒川の星、北島選手の栄光に泥を塗ってしまった。藤沢区長は荒川区民に謝罪をするべきである。

今年6月には前助役の高橋祥三も区発注の健康器具設置工事に関連して別の業者から賄賂を受け取ったとして収賄罪で起訴されているので荒川区のダブル不祥事(汚職)である。今回の藤沢荒川区長の逮捕は前助役の高橋祥三被告が5月に逮捕され、荒川区の公共工事発注状況を警視庁捜査2課が調べる中で藤沢区長の収賄容疑が浮上したため。助役逮捕から4ヶ月、汚職事件がトップへと発展した。藤沢区長は8月1日付で総務部長以下部長級3人、経理課長ら課長級8人の人事異動を行い、議会から「疑惑隠しだ」との批判が出ていた。

警視庁捜査2課の調べに対して石崎克博社長は「荒川総合スポーツセンターの運営業務の受注でも便宜を図ってもらった」などと供述していることが19日に判明したと報道されている。藤沢区長が2001年5月に区長に初当選した後の2002年2月に発注方法が「随意契約」から見積もりを出させて競わせる「指名見積もり競争」に変更され、ビルメンテナンス会社「新光ビルシステム」が2002年度の運営業務を受注した。さらに、区役所は2003年3月、発注方法を再び随意契約に戻し、2003年度と2004年度の運営業務を同社に委託していた。発注額は2002年度が1億6300万円、2003年度が1億8500万円、2004年度が1億8700万円と年々増えた。同スポーツセンターの運営業務は2001年度までの17年間、都内の別の業者が随意契約で請け負っていた。他に荒川区保健所の冷暖房設備の保守点検も2002年度から委託していた。

捜査2課の調べでは、石崎社長は藤沢区長が都議時代からの顔見知りで、藤沢区長が01年5月に就任してからは料亭やクラブでたびたび接待を繰り返していた。この背景には2001年度の区長選挙で「新光ビルシステム」の石崎克博社長が対立候補を支持したため30年以上にわたる荒川区本庁舎の管理業務契約の継続受注に強い危機感を抱き、当選直後から藤沢区長への急接近が挙げられている。藤沢荒川区長に就任した後の02年度以降、「新光ビルシステム」が荒川区内で受注した事業は総額約8億円である。

区議会は開催中だが区長と助役の不在な議会になってしまった。区民の殆どは「区長までが…」「事実なら許せない」と憤っている。区役所の幹部が会議を開き、三嶋重信総務部長が21日から区長職務代理者となる方針を決めたが区民の信頼を回復できるだろうか。次に区役所の幹部職員が収賄の疑いで逮捕されるような事態になったら荒川区の区役所は汚職の巣であることになる。荒川総合スポーツセンターに係る発注方法の変更とデフレの時代の業務委託費の増額は不可解である。区役所の幹部職員と区議会議員は区役所が発注する業務委託について適正なチェック機能を果たしているのかという疑問が残る。

警視庁が19日に区役所の家宅捜索を行なった。区議会の与党の自民党は起訴されるまで静観するとか、共産党は辞任しなければ「辞職勧告決議案を出す」とかで議会各派の対応が分かれている模様。

21日に区長職務代理者となった三嶋重信総務部長が全管理職会議で藤沢荒川区長の逮捕の経過を説明し、「非常事態の中で、事務を滞りないように。ただ、新規事業などは慎重に検討してほしい。行政のプロとして難局に一丸となって取り組んでほしい」と述べたとか。荒川区の公式ホームページを覗いてみたが区民に対する説明は未だに掲載されていない。

ニュース報道によると収賄容疑で逮捕された藤沢志光区長が23日に区議会議長に辞職届を提出したので区議会は27日に対応を協議し、辞職を承認する模様。区議会が辞職を承認すると50日以内に区長選が行なわれることになる。これで荒川区役所は汚職事件の2冠を達成。警視庁捜査2課には区役所内部の大掃除を徹底して行なって貰いたいというのが区民の総意である。

4月に刊行した藤沢志光区長の著書「荒川区 全国一への挑戦」の中で荒川区はどこを切っても日本一を目指すとか述べているようだが汚職でも荒川区は全国一であることを本人が全国に宣伝する結果になった。当然のことながら、10月4日および6日に日暮里の駅前ホテルで開催が予定されていた会費1万円の出版記念パーテーはキャンセルされた。また、毎週火曜日に区民と区長が直接対話する「井戸端区長室」も中止になった。

藤沢荒川区長の逮捕の第一報はここ、その後の一連のニュースはここをクリックすると閲覧できます。著書については「荒川区 全国一への挑戦」をご覧下さい。

アップデート(2005年11月22日)

前区長藤沢志光被告(60)の公判が22日、東京地裁であり、検察側は懲役2年6月、追徴金150万円を求刑した。藤沢被告は、無罪を主張している。

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投稿者 arakawanet : 00:11

2004年09月07日

北島商店のメンツカツ

アテネ五輪で競泳男子100、200メートル平泳ぎで2冠に輝き、400メートルメドレーリレーでも銅メダルを獲得した北島康介選手(日体大、東京SC)の実家が経営する精肉店「北島商店」は北島選手の子供の頃からの好物として有名になった手作り「メンチカツ」を求めて週2回の限定販売日の水曜日と土曜日には長蛇の列ができるいま日本で一番の話題のお店になっている。

創業53年の「北島商店」は手作り「メンチカツ」を30年位前に販売を中止していた。北島選手が昨年開催された世界選手権で平泳ぎ2冠を達成した後にテレビのインタービューで「好物は何か」と聞かれ「メンツカツ」と答えたことを見た北島選手のファンから「メンツカツ」が欲しいとの要望が「北島商店」に殺到して昨年に復活した。

アテネ五輪で北島選手が平泳ぎ2冠を達成した直後の土曜日の昼食前に手作り「メンツカツ」を買うため「北島商店」を訪ねたところ待ち時間が2時間以上と聞き、炎天下に小路で立ち並ぶことを諦めた。先週の土曜日の午後2時半頃に再び「北島商店」を訪ねたがお店の前の道灌山通りの両側には手作り「メンツカツ」を買い求める人達の乗用車が駐車し、徐行して通る乗用車は窓を開けてカメラ付き携帯電話でお店の写真をパシャリ、都の定期路線バスまで徐行運転するのにはビックリした。駐在所のお巡りさんが自転車で通りながら「車を移動して下さい」と呼びかけていたが今回ばかりは頷けた。

待つこと約1時間半、4時前に手作り「メンツカツ」6個をゲットした。勿論、揚げたてのアッツアッツです。「メンツカツサンド」は既に売れ切れだった。未だ200人位のお客さんが小路に並んで待っていたがお店の中では売れ切れのタイミングを計算し、買えないお客さんにどうしようかと相談していた。土曜日の午後ということもあり、家族連れ、母親と娘、OL、若いカップルで大賑わいであった。聞くところでは1日に4000個も売れるとか。

北島商店の手作り「メンツカツ」は昔懐かしいお肉屋さんの「メンチカツ」である。黄金(ゴールド)色に揚がった衣、ザックリした衣の中にはジューシーでやわらかなお肉がたっぷり、玉ねぎの程よい甘味とシャキシャキした食感、本当に美味しい逸品である。美味そうな香りの誘惑に負け、デジタルカメラで写真を撮る前に1個食べてしまった。残した2個を6時間後に食べたが冷たくなってもその美味しい味に変わりはなかった。

お店では手作り「メンツカツ」1個の値段が130円。一人当たり10個の限定販売となっている。また、なま「メンツカツ」は一人当たり2パックと「メンツカツサンド」は一人当たり1パック限定という表示が出ていた。国産黒毛和牛のすき焼き用、ステーキ、ロースハムやベーコンセットを贈答品として全国に販売している。

新聞やテレビの報道などによると手作り「メンチカツ」は銀座と日本橋のデパートでも売られているが、上野松坂屋は「当店が北島選手の実家に最も近いので、長く売り続けて地元の味として名物にしたい」と金メダリストにあやかり「商戦もカツ」と意気込んでいるようだ。

自慢できる物は都電荒川線くらいしかない地味(ジミ-)な「荒川区」を全国区に押し上げてくれた北島選手、実家の精肉店「北島商店」の手作り「メンツカツ」は北島選手のゴールドフィーバーによる一過性の名物として終わることなく「荒川区」の特産品として深く根付いて貰いたいと願う北島選手のファンと荒川区民は多いと思う。荒川区の星、北島選手には北京五輪でも活躍して貰いたいですね。








北島康介選手については北島康介オフィシャルウェブサイト「Frog Town」をご覧ください。

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投稿者 arakawanet : 18:00

2004年08月09日

荒川区ってなあに?

荒川区に住んで拾余年になる。住めば都であるが、友人、同僚や親族から「荒川区ってどんな所?」と聞かれるといつも的を得た簡単な答えが見つからず困ってしまう。そんな訳で荒川区について少し調べた。

(1)荒川区の誕生

江戸時代の現在の荒川区域は江戸の市街地に隣接していたが田畑を耕す農村地帯であった。畑の占める割合が多く、汐入大根、荒木田大根、三河島菜や谷中生姜等が有名。明治11年、東京府(現東京都)が15区と6郡の構成になったとき、現在の荒川区地域は当時の北豊島郡に属する10農村地帯の一つであった。昭和7年10月1日に大東京市35区制により、南千住、日暮里、三河島、尾久の4つの町が合併し東京府東京市荒川区となる。昭和25年に東京都の現在の23区制の一区になり、現在に至る。

(2)荒川区の地域

東京都の北東部に位置し、東西に長く、隅田川が荒川区の東北部をう回して流れ、これに沿って西尾久、東尾久、町屋、荒川、南千住の地域がある。台東区、文京区と北区、隅田川を隔てて足立区と墨田区に隣接する。荒川区の総面積は10.2平方キロメートルで、23区中21位。1位の大田区は59.46平方キロメートルで荒川区の約5.8倍。荒川区地域の大部分はほとんど起伏がない平坦な地域。南西部には山手台地の一部があり、通称諏訪台、道灌山と呼ばれる高台になっている。荒川区には西尾久、東尾久、町屋、荒川、南千住、西日暮里と東日暮里の7地域があり、区役所は荒川二丁目に位置する。

(3)区名の由来

荒川区の北東部を流れる現在の隅田川は、昭和39年までは荒川と呼ばれ、これが荒川区の名前となった。荒川放水路が現在の荒川となる前は、足立区との境界がこの荒川であった。隅田川というのはこの荒川下流部(現在の白鬚橋周辺から)の通称の一つであった。

(4)荒川区の人口

明治初期の荒川区の人口は約1万3千人に過ぎなかったが、大正12年の関東大震災の後に都心部からの人口の流入があり、第二次世界大戦に向けての軍需産業の増強により昭和18年には38万人強とピークに達した。東京大空襲の結果、荒川区の8割が焼失し、人口も14万弱に激減した。昭和35年には28万人強まで回復したがその後減少し続けた。昭和54年以降は人口の流出も横ばいになり、最近では増加傾向にある。平成16年7月現在の人口は18万9千人弱である。この内、外国人登録者数が人口に占める割合は7.12%であり、これは港区に次いで第2番目である。商店街でもキムチや朝鮮料理の食材専門店があったり、ハングル文字の看板が目立つ。荒川区の人口の特徴は老齢人口率(65歳人口率)が20%を超えており、今後高齢者福祉対策などが課題になる。

(5)荒川区の産業

明治政府の殖産興業政策により明治10年に官営千住製絨所、同16年に日本家畜市場株式会社・笠原工場群、同20年に大野製革工場と関連屠獣場などが南千住に建設され、荒川区の工業化が始まった。荒川放水路工事が大正10年に完成すると水害の問題も解決し、煉瓦工場、変電所、電化工場などに関連する企業が進出してきた。大正12年の関東大震災を契機として都心部からの人口の流入、工場の移転や新規建設などにより昭和に入って最盛期を迎えた。昭和5年には当時の35区の中で荒川区は工場数では紡績工業が第4位、金属工業が第2位、機械器具工業が第4位、化学工業が第2位、等など高い水準であった。昭和13年の国家総動員法により荒川区の企業も軍需産業に比重が移った。東京大空襲により産業設備の大半を焼失したが昭和38年には戦前の状態まで復興した。しかし、昭和30年代から50年代にかけて旭電化、鐘紡、東京製紙(現・ユニチカ)、千住製紙など11の大規模工場が荒川区から移転し、その中小下請け工場も影響を受け、昭和40年戦後から荒川区の産業の衰退が始まった。他方、荒川区の五大産業といわれた家具、鉛筆、自転車、既製服、皮の工場もその大半は下請け、再下請け工場などであったため、近年の経済事情や産業構造の変化により年々衰退している現況にある。現在の荒川区の産業構造はサービス業、金融・保険業、不動産業などの第三次産業を主とする都会型産業に移行しつつあるが、出版や印刷といった情報産業も増えている。






荒川区については荒川区ホームページ、荒川区と周辺地域のホームページについては荒川ネット-荒川区の検索エンジンをご覧ください。荒川区民の歌を聞くことができます。

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投稿者 arakawanet : 00:13